僕だけが面白い人間になるよりも、周りのみんなが面白くなってくれたほうが、僕も面白い

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 ちょっと前に、「つまらない世代」なんていう高飛車な文章を書いたことがあります。

 端的にいうと、僕らはもっと面白いことをしなきゃだめだな、面白いことがあったらみんなももっと自分から寄ってほしい、なんてことを書いてたわけです。

 しかしよく考えてみたら、面白い人間の周りに集まる人間が面白いとは限りません。そして、僕はなにもそんな有名人になるために面白くなりたかったのでもない・・・笑
 
 面白くなるために個々人が必要なこと、みたいなものをそのときの僕は書いてたわけですが、四六時中、面白いことができる人間なんてほぼいません。どんな人間に対してなら、僕らは面白くなれるんでしょうか。

 たとえば身のまわりにはいろんな人間がいます。人の話を聴かずにすぐ反論するような人だったり、誰に対しても公平な態度で接することができる人だったり・・・数えきれないほどの人間がいます。どんな人に対してなら気兼ねなく、素直に、自分の率直な気持ちを打ち明けることができるでしょうか。

 僕自身はプライドが高い人間なので、人に相談するのは苦手です。だからこそ人の相談には乗ってあげたいと思う。ただきっと、僕ならこういう寡黙な人間に相談することはないだろうな、とも思うわけです笑。

 つまり、さしあたって人と問題が起きないような、そういう関係だけではまだ不十分。相手の出方を見て受けを変える柔道のようなものです。決してなにもしないわけではありませんが、ある種のactiveなpassivenessを身につけると、相手の動きが相手自身を負かすことになるわけです。日常生活においては、知識や技術といったものへのアンテナの多さではなく、相手の面白さを受け止める器の深さが、その人の不必要な警戒を解かせることにつながり、お互いの人知れぬ面白さを引き出す鍵になっていくんだろうと思います。

 面白い~面白い~と語弊のある言い方を続けてますがw、まあ僕はaggressiveよりもassertiveな自然体で、できることをやっていきます。


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