またまたご無沙汰しています🙇


いよいよ平成30年が終わりますね。


みなさんいかがお過ごしでしょうか。







以前のブログで、1月から8月までの近況を報告したわけですが、



そのときはわれながら、


「ここまでで今年ほとんどのイベント終わったな〜」


と思っていました。



全然そんなことありませんでした😱😅




最後の最後までチャレンジ続きで、目が回りそうでした笑。



というわけで、9月以降をひと通り、振り返らせてください。



  •  シェアハウス暮らしを始める




かねての予告通り、福岡県糸島市にあるいとしまシェアハウスに移住しました。



いとしまシェアハウスは、単に食料の自給自足を楽しむコミュニティではなく、食やエネルギーの循環を考えたり、都会生活の基礎となっているお金の価値や使われ方について、さまざまな問題提起をしていく空間です。






さまざまなバックグラウンドを持つシェアメイトが住んでいるほか、日々多種多様なゲストも出入りしているので、これまでほとんど縁のなかった自然農業の農家さんや、NPOの方、ローカルビジネスや地方自治体の職員さんなど、数えきれないほどの方々と親睦を深めることができました。


シェアメイトの整体師さんに東洋医学の話を聞いたり、大学の教授と学生のマインドセットについて議論したり。。。


こういったことは、一人で住んでいたら絶対に実現しなかっただろうと思います。



  • 田舎での体調管理


新天地での生活のハードルは、想像していた2倍も3倍も高かったです笑。






まず、シェアハウスはWiMAXが届かない地域なので、Wi-Fiが非常に低速です(2018.12現在)。


おまけに、光回線も利用できません。



その環境で、在宅勤務のプログラマーの仕事を始めなくてはならなかったので、正直しんどかったです笑😅。






さらに、最寄駅は歩いて30分の距離。



夏は蚊の温床、冬は極寒。エアコンなし💀。



最寄りのコンビニは、徒歩1時間です笑。



その環境下で、いかに体のメンテナンスをしていくかが、当初一番の課題だったのですが、



来福2日目で腕を何針か縫うケガを負い、運動できなくなりました笑🙅。




でもケガは学びの多い経験だと思います。




膝のケガがきっかけで、解剖学を独学で勉強し始めたころのことを思い出しました。






また、予想外に大変だったのは、シェアメイト全員で食卓を囲む、夜ご飯です。



シェアハウスは基本的にゆるベジ生活で、自分たちの食べ物のルーツも再考しよう、というスタンスです。



オーナーさん夫婦は、まず自分たちで米を育て、肉類も猟をして食べるというライフスタイルを、シェアメイトとともに自ら実践されています。






自分は「肉がないなら豆や卵を食べればいいや🍖」くらいに思っていたのですが、



豆も卵も貴重品なので、一人分の分け前がいつも十分にあるとは限らないんです。
(※アスリートの基礎代謝を考慮すると、という話です)



夜ご飯のために買い出しをする、というよりは、家にあるものでご飯を作るのがシェアハウスの基本スタンス。




「家にないものは、ほんとに金を使って買うべきか考えよう。じつは自分で作れるものなんじゃないの?😛」というわけです。






そもそも自分は自動車免許を持っていないので、そう簡単に買い出しに行けません笑😇。



いざ電車に乗って隣駅に行って帰ってくるだけで、2時間コースです。



これが筋トレなどをする上では予想以上に影響大で、良くも悪くも栄養学を再考するきっかけになりました。



  • シェアハウスで参加したイベント


それぞれ説明すると長くなりそうなので、イベントは箇条書きにしておきます。


  1. たたき土間作り
  2. アースオーブン作り
  3. ギブミーベジタブル(入場料は野菜!)
  4. 稲刈り・脱穀
  5. DIY(Do it yourself)
  6. 山口県萩市でのマルシェ

これらに加えて、クラウドファンディングの企画会議も行うなど、シェアハウス生活は多忙そのものでした。



  • プログラミングを教える

12月は、Code ChrysalisFoundations course💻を週3回×4週間、糸島のゲストハウスで教えるというプロジェクトに参加し、なんとか全カリキュラムを一人で教え切ることができました。



このあたりからスケジュールが修羅場を迎えていて、在宅勤務の方はお休みをいただきました^^;



というのも、自分の体調管理を根本的に見直そう🔥と思い、バレエクラスの回数を増やしたほか、プログラミングの勉強時間を大幅に増やしたからです。



しかも月1回は東京に帰って、トレーナーさんにトレーニングを見てもらったり、それとは別にジャイロトニックを受けたりしたほか、ライフハッカーの記事を執筆したり、ロシア語の勉強を再開したりするなど、自分をいじめ抜きました笑😅。







  • そして、バレエ。

さらに、この間、福岡市内のオープンクラスやチャコット、そして糸島市内のバレエスタジオでも教えさせていただきました。


そして先日は、バレコン福岡の審査員も務めさせていただきました。



自分なりに審査方法のあり方など考えてから臨んだのですが、いざ生の舞台を見ると、良い意味で想定外の踊りに出くわすことがありました。



そこが踊りの面白いところだと思います。



いまは基礎が弱いけれど、将来は良いダンサーになりそうだな、と思わせる出場者もいて、数字で結果を出す難しさを痛感しました。



そんなこんなで、ダンサーたちのエネルギーに感化されたり、同じ審査員の先生方に感銘を受けたり、ただただハッとし続ける貴重な経験をさせていただきました。




男性ダンサーの少ない福岡で、ダンサーとして自分は何をしていきたいかが、少し見え始めてきた気がします。







  • ハロー、2019年!

シェアハウスはもちろん、年初のトビリシのバレエ団から最後のバレコンに到るまで、素晴らしい人たちに出会えたのが、今年最大の収穫です🙏。



一人だったら、精神的に持たなかったと思います。




来年は、3月末までCode ChrysalisのImmersive course💣を受講します。



フルスタック・エンジニアとして仕込まれてきます💥。



その後は、Gyrotonicのトレーナーの資格にも挑戦する予定です。



自動車免許も春に取ります笑🚗。



いとしまシェアハウスのシェアメイトたち。



今年こうやって、いろいろと無理をしてきたのも、次を見据えてのことです。



来年は、今年自分に投資してきたものを、みなさんに還元していく年にしていきたいと思います。




ご無沙汰しています。

バレエダンサー・ライター・エンジニアのすみゆうまです。




福岡に移住して、ひと月が経ちました。



最近はここ半年続けてきた仕事に加え、福岡市内でバレエクラスを受け持ったり、シェアハウスの稲刈りや土間づくりを手伝ったり、と忙しさに拍車がかかっています^^;




ライフハッカーのほうでも仕事と休憩のバランスについて書きましたが、いまの個人的な目標の一つは、バレエ・エンジニア・執筆・勉強をそれぞれ「仕事」兼「休憩」として成り立たせて、通常の2〜3倍の勉強/仕事量を実現することです。


たとえば、バレエで体を動かしたら、その休憩として、体を休めながらでもできる、エンジニアの仕事をするというふうな感じです。




いま実際に挑戦してみて一番大変なのは、バレエ(トレーニング)も、エンジニアも、執筆も勉強も、ほぼ独りで続けなければならないことです。



スタジオやジム、オフィスなどに通って人との交流が絶えなければ、気持ちの切り替えもうまくいきますが、現状は仕事=1人なのでモチベーションの維持がめっっっっっっっっっちゃ大変です笑。




例えるなら、バレエ団やバレエ教室でひたすらバレエを練習する生活は、攻略本を見ながら進めるゲームのようなもの。



そして、いま自分がやっているのは、ゲーム機とソフトを組み立てるところから始めるようなものです笑。



  • そもそもバレエクラスはダンサーにとって本当に最適なトレーニングなのか。
  • バレエ団で働かないと、ダンサーはアーティストとして成長することができないのか。
  • そもそもバレエダンサーが本当に犠牲にすべきものって何なのか・・・


こういった素朴な疑問に答えを出すための果てしない挑戦、というわけです。



そんなワークスタイルを支えてくれている存在が、9月から滞在しているいとしまシェアハウスです。



ふつう、社会人のライフスタイルといえば、


「労働空間で人と会って、生活空間はプライベート」


ですよね。



いとしまシェアハウスに移り住んだ理由の一つは、一時的にでも


「生活空間で人と会って、労働空間はプライベート」


を実現するためです。




これも一種の仕事と休憩のバランスですが、日本ではしばしば仕事の融通が利きません。働く場所と時間帯が限定されるので、自分のように兼業をしていて、しかもバレエのようにトレーニングも仕事の一部、というような場合、ほかの仕事からはそれを仕事とみなしてもらえない可能性が大いにあります。


そのため、いまの主な収入源であるエンジニア・ライター業に関しては、場所と時間よりも成果中心主義の会社と仕事をしています。基本的にはオンラインで働いているので、家ではオフラインな交流の場を持とうというわけです。



もちろん、さきほど言ったようにモチベーションの維持は大変ですが、オンラインミーティングを朝7時に入れたり、夜はなるべくパソコンを開かない、などのルールを設けて、健康面でライフスタイルの土台を補うようにしています。



さて、シェアハウスの良いところは他にもたくさんありますが、今日はもう少し、健康と環境の話をしたいと思います。



*  *  *



いとしまシェアハウスでは、基本「食べる肉は狩ってくる」という原則があります。狩猟免許を持っている方が何人か住んでいて、猟期にイノシシを狩ったり、川でカニを獲ったり、朝早くからアジやイカを釣りに行ったり・・・とその努力にはつくづく頭が下がります。


また、庭では鶏も飼っていて、卵は基本、鶏が産んだものだけを食べています。「夕食は基本みんなで作ってみんなで食べる」というルールもあるので、住人が増えると、当然、卵の分け前は少なくなってしまいます。


そうすると、栄養学的な観点から懸念されるのは、摂取するタンパク質の不足です。ダンサーである自分にとって、これは人一倍に深刻な問題です。



ここで自分が注目したのは、「タンパク質を十分に摂取する」という栄養学の基本の裏側です。それは、


「自然の中で暮らしていたら、タンパク質は簡単には手に入らない」


という当たり前の事実です。




タンパク質は肉類・魚介類・卵類・大豆製品・乳製品などに多く含まれていて、20代男性の場合、1日あたりの推定平均必要量は50gと言われています。


もしごはんだけからこの量を摂取しようと思ったら、1日あたり約2000gものコメを食べなければいけません。これは大体、どんぶり6、7杯にあたります。


しかも1食で摂取できるタンパク質の量には限度があり、糖質との摂取バランスも大変重要なので、コメだけでタンパク質を摂取するのはあまり現実的ではありません。だから、肉類や魚介類の摂取が推奨されているわけです。


ところがコメと違い、肉は自分の手で作れるものではありません。時には命をかけて、あるいは命を奪って手に入れるものです。肉とコメって、そもそも栄養以前に、自然の中から手に入れる方法とその性質が全く違うんですよね。そんなことは誰もが知っていると思いますが、現に実感できている人は意外と少ないのではないでしょうか。





肉を食べること自体は問題ではありません。生き物として自然な行為です。


そして、その肉を自分で狩ってこないからと言って、肉を食べてはいけない、というわけでもありません。そのために社会があります。



問題は、命を奪ってタンパク質を摂取していることではなくて、社会全体でのタンパク質摂取のバランスにあります。もし仮にあなたがベジタリアンで、肉を食べていなかったとしても、あなたが代わりに食べている穀物を作っている人たちはどうでしょうか? その人たちがいわゆる「健康食品ビジネス」で大金を儲けて、不必要なほど多くの肉を日頃から摂取しているとすれば、あなたは彼らの「肉食」に加担していないと言えるでしょうか?



また、逆にそういった食物を作っている人たちが、日々過酷な労働を強制されているとしたら、どうでしょうか。あなたが自分のために良かれと思ってやっていることは、そのまま社会のために良いことでしょうか?



自分がいま真剣に考えたいと思っている問題の一つが、まさしくこれです。つまり、「一流アスリートの生き方は、本当に人々のためになっているか」というテーマです。



たしかに、アーティストやアスリートは人々に夢を与える職業です。ですが、そのアートやスポーツが非常に恵まれた環境下でないと続けられないものだとしたら、自分たちは、人々に与えた夢を現実からさらに遠い位置まで引き上げることで、夢とともに絶望を与えているかもしれません。


そうならないように自分たちを支えているものや社会について考えることも、アーティストやアスリートの大事な使命だと思います。これはしかも引退してから考えればいいものなんかではなくて、むしろ現役の人たちこそが腰を据えて取り組むべき問題なんじゃないかな、と思います。



みなさんはどう思いますか?


みなさん大変ご無沙汰しています!


元ジョージア国立バレエ団の鷲見雄馬です。

▲ 最近はLifehackerにも寄稿しています。

1月の投稿以来、長らくブログを更新していませんでしたが、ブログ読んでますよ〜また書いてくださいね、という声をお聞きする機会が、このところ度々ありました(ありがたいことです)。


そこで、リニューアルして公開予定の新しいブログができるまでは、こちらのブログにて近況を更新し続けることにしました!


というわけで、まずはこの半年の活動報告をさせてください。

どうもこんにちは。人呼んで21世紀版フーテンの寅こと鷲見雄馬です。 今年2月にトビリシのバレエ団を辞め帰国したわけですが、半年間なにをしてきたのか、そろそろ一言で説明できなくなってきたので、この場を借りて半年分の清算をしようと思います。 ...
鷲見 雄馬さんの投稿 2018年8月15日水曜日


ご覧の通り、Facebookでは先立って近況報告をさせていただきました。


その内容をブログにも転載したいと思います。


* * *


どうもこんにちは。人呼んで21世紀版フーテンの寅こと鷲見雄馬です。


今年2月にトビリシのバレエ団を辞め帰国したわけですが、半年間なにをしてきたのか、そろそろ一言で説明できなくなってきたので、この場を借りて半年分の清算をしようと思います。

2月

イスラエルツアーに参加し、バレエ団最後の1日をエルサレムで、イエス・キリストご本人とニーナ・アナニアシヴィリご本人と過ごしました。


3月

オランダで留学時代の恩師や旧友に会い、バレエ団のクラスを受けたり公演を見たりしていました。運良く高校の同期とも落ち合うことができ、一旅行者として観光もしました。
その後スウェーデンへ移動し、「Z-health Essentials course」という、神経科学ベースのボディワークをテーマとしたワークショップに参加。これが激アツでした。
日本に帰国したあとは、かねて企画していた福岡インターナショナル・バレエ・フェスティバルの春期講習会を実施し、チラシや修了証のデザインから、通訳、写真撮影まで手広くこなしました。ちゃんと収支も黒字にしました。


4〜6月上旬

しばらくは上記フェスティバルをビジネス面で手伝っていましたが、こちらは諸事情を鑑み、6月限りで身を引くことに。
来月福岡で行われる佐藤愛さんのワークショップは元々自分が企画したもので、そういう経緯もあり、4月には実際に愛さんのDLSセミナーに参加しました。


6月下旬〜7月

バレエスタジオの公演で踊ったり、レッスンを教えたり、写真を撮影したり、記事を執筆したりと、いろんな仕事を経験させていただきました。
ここ数ヶ月、空いている時間には、ジャイロトニックに行ったり、アルトリコーダー練習したりもしています。 リコーダーは別にネタ作りのためとかではなくて、「バロック期の舞曲/バロックダンス/バレエ」、さらには「楽器を吹く/呼吸/ボディワーク」という関連を見据えています。


8月

今週からは、Code Chrysalisという都内のブートキャンプにて、英語でプログラミングの勉強をしています。日本語では昨秋から独学で勉強していたんですが、この機会に英語で基礎固めする予定です。


9月〜

福岡県糸島市のシェアハウスに移り住みます。稲作や養鶏、自家発電などに挑戦しているコミュニティで、オーナーさんたちが目指す自給自足の生活や、貨幣経済に対する独自の取り組みを、みずから体験・発信していこうと考えています。これを機に、ポルトガル語やロシア語の復習も始めるつもりです。
また、水面下では現在、地方のとあるIT企業とプロジェクトを進めています。こちらに関しては、いずれ公にできればと思います。




ここまで半年間、フリーランスとして多業種の仕事や勉強に手を出しつづけてきたのには、自分なりの理由があります。


長期的・最終的なビジョンについては別の機会に書こうと思いますが、一介のダンサーとしての働き方に限定するなら、「バレエ団に所属するよりも、ダンサーの能力を総合的に飛躍させる潜在性がある」と考えているからです。


まあまだ実験段階なので、詳しくは本人に会って聞いてください。


1月まで書き続けていた個人のブログですが、こちらはタイトルGeorginaliaの元となったGeorgia(国)とMarginalia(雑誌)の両方から手を引いた、現在の自分にふさわしいウェブサイトに一新する予定です。


今回は自分で一からコードを書いて、近日中に公開できればと考えています。


* * *


というわけで、ここ最近は、波乱万丈のライフスタイルに挑戦しています。


でも本来、アーティストやアスリートとしての生活の醍醐味はチャレンジにあると思うんですよね。


バレエ団に所属することで「プロ」と呼ばれるバレエダンサーにとって、バレエダンサーである以前にアーティストでいることは、案外難しいものです。


特に昨今、バレエダンサーは、技術と条件(と運)があれば「なれてしまう職業」なんです。


もちろん、「続けられる職業」とは限りませんが。



何よりもまずアーティストでありたい、という自分の思いを大事にするためにも、自分はあえてバレエ団をやめる決断をしました


今のライフスタイルは、「アーティストとしてのバレエダンサー」になるためのチャレンジだと思っています。


3月に参加したZ-healthのことや、9月から住む糸島のことなど、書きたいことはいろいろとありますが、今回はこのあたりで幕切れとします。


ほかのSNSでも、ブログとは異なる形で近況報告などしてますので、ぜひご覧ください。

  • Twitter

    …主にバレエのことを日単位でつぶやいてます。

  • Instagram

    …自分の撮った写真など、マイペースにあげてます。キャプションは英語です。


また、以下にライフハッカーに載せた文章のリンクをご紹介しますので、お時間ある方は読んでみてください^^



ブログの感想などありましたら、ぜひぜひこちらまでお聞かせください!!


それではまた次回^^

 このたび、2月末にバレエ団を辞め、ジョージアを去って、7年ぶりに日本へ帰ることにしました。

 なぜ新年が明けてからブログ【ゆく年】編をアップし、今になって【くる年】編をアップしたのかということも兼ねて、今回の決断にいたるまでの経緯をお話ししたいと思います。


▶やめるのは続けることより簡単か?

「やめるのは簡単だよ。続けるのは大変だけど。」

 お稽古事なんかでは、よくそう言いますよね。毎日コツコツ続けることは実際大変ですし、三日坊主なんてのは誰にでもあることです。

 ただ案外、続けるほうが楽なこともあります

 いまやっていることを続ける、なにも考えなくとも続けられる、という立場自体は、「もう続けられない…」という、選択肢のない状況(について考えること)を回避できる特権でもあるからです。現に、怪我をしているときより、大変でも目まぐるしく踊り続けられるときのほうが気が楽だ、というダンサーは決して少なくありません。

 また、普通「やめることを選択する」というのは、選択肢のない状況におけるやむをえない判断、目標を達成できなかった失敗のあかしと見なされがちです。

 怪我をした、年齢の限界、モチベーションがなくなった、などなど・・・

 ですがはたして、怪我をしていない、年齢の若い、モチベーションのありあまったダンサーにとって、「やめること」は無意味な、検討の価値のない選択肢でしょうか?

 僕はそうは思いません。自分にとって重大な意味をもつ道を自分自身の意思で選んだ場合、その道を(あきらめるのではなく)思い切ることほど意味のあるものはないと思います。


▶上手より好きを選んだ17歳

その昔、僕はK高校という巷では名のある進学校に通っていました。それこそ生徒の進路についてうるさく言う学校では全くありませんでしたが、僕自身はある種のプレッシャーを人一倍背負ってしまうタイプで、高3の夏には有名大学進学とバレエのどちらを選ぶべきか、めちゃめちゃ悩んでいました。

 なにも前途が有望かどうか、という点で悩んでいたわけではありません。

 「芸術は人に『ああ、もう今日死んでも構やしない』とさえ思わせるような力を持っている。たとい自分の能力をたよりに大学へ行って、平凡ながら裕福な人生を送れたとしても、僕は同じような感情の激流に出会うことがあるだろうか。報われないかもしれない10年の僥倖と、国家によって約束された50年の幸福の、どちらかを選ばなければいけないとしたら、僕はどちらに人生を賭けるだろう?」―― 僕はそういうことを考える夢想家でした。

 文章を書くのが好きだったので、批評家のような仕事を考えたこともあります。ただ、音楽を聴いたときの人間的な感動を表現するのではなく、観たものを片っ端からさばさばとメスで解剖したがる批評的態度に対しては、拭いきれない違和感がありました。そうして、芸術はやはり作り手/感じ手の世界だ、能力に恵まれなくとも僕はアーティストでありたい、と腹をくくった矢先、嘘のような海外留学のオファーが舞い込んだのでした。

 それ以降、もうプレッシャー云々で人生を決めるのはやめました。自分の人生を自分で決める、雄弁な・生意気な語り手がそこに現れました。


▶「筋の通った人生」なんて息苦しい

K高校からの勉学の道を思い切り、その後短期間ながら通ったG大も思い切った僕にとって、次の悩みは「バレエダンサーらしく生きること」でした。

 当たり前ですが、生徒の半数がT大に行くK高とバレエ界とでは、世界がまったく異なります。G大に入学した際もそう思いましたが、とりわけポルトガルにいた頃の「場違い感」は半端じゃありませんでした。K高時代の友人をたよりに続けていたマージナリアの活動も、ここじゃあ到底受け入れられそうにないなと感じ、まるで二つの人格を生き分けなければいけないかのような現実に愕然としていたのをよく覚えています。そうしたギャップを痛感していたからこそ、バレエ界にいながら「K高卒」というレッテルで評価されるのが嫌でたまりませんでした。それはダンサーに対するまっとうな評価ではないからです。

 そんな苦労のさなか、オランダのバレエ学校の友達が何人もマージナリアに興味を持ってくれたのは嬉しい誤算でした。「ああ、バレエダンサーがしかめっ面して文章書いてもいいんじゃんか」、バレエダンサーをやっていながら、そう思えるようになったことで、どれだけ気が楽になったことかわかりません。

 とかく考えてみると、筋の通った人生、という常套句は少し息苦しい気がします。「K高卒らしい言動」「バレエダンサーらしい振る舞い」「日本人らしい気づかい」に沿って生きることは、時に本当の自分をいつわり騙すことになりかねません。海外の地でバレエに挑戦していると、生まれつき持ちあわせていないものを要求されることや、生活上でのいわゆる差別に出くわすことも少なくありませんが、僕は僕でいよう、褒められようが貶されようが、僕が僕でないことほど愚かしいこともあるまい、そう思うようになりました。

 そして同時に、僕は誰であってもいい、そう思うに至りました。バレエダンサーでも、マージナリアの創始者でも、トビリシに住んでいる日本人でも、学業を捨てたおバカさんでも、どれでもいいし、どれでなくてもいいんです。その意味では、「思想的な一貫性」というインテリの精神的防護服にしたって、自分の首を絞めかねないと思います。考えること話すことが、ある時はYesであったり、ある時はNoであったりしたとして、それが一概に矛盾であるとは言えないのではないでしょうか。

▶️思い切って選んだからこそ、思い切って捨てる価値がある

これまでの自分の努力が無駄になることを恐れて身動きがとれなくなるのを避け、昔の自分の言動につじつまを合わせるような無理もせず、自分自身に正直に生きよう、そう思ったとき、僕が次に取るべき選択はおのずと明らかでした。

 それは自分が思い切って選んだ道を、今度は思い切って捨ててみることです。

 この道を諦めたのではありません。この道を選んだのが自分だったからこそ、捨てることにはポジティブな意味があります。覚悟を決めて選んだものに対して、なにか不可抗力的な選択を迫られた、あるいは、思い切るまでもなく捨てざるをえないシチュエーションが本人に自覚されたのであれば、それは「諦める」でしょうが、そのような不可抗力がなくとも捨てる決断をすることこそが、僕の意味する「思い切る」ことです。

 僕は3年以上、トビリシで踊ってきました。留学時代をふくめて7年間の海外生活に終止符を打つことになりますが、これはひとえに、「バレエを踊ることとマージナリアを作ることの両方は本質的にたがわないものとして成り立ちうる」という直観を得たからです。ただ両者の本質を外科医のように縫合して、それで自分の口を糊するためには、どんな言い訳をも己に許さない、崖っぷちの自由が必要だと自覚したわけです。

 「でもバレエ団を辞めるんなら、バレエをあきらめたと同じことじゃないの?」という声はあると思います。無論、1年以上も前からそのことは何度も自問しました笑。ですが、バレエ団にいたとしても、なあなあでバレエを続けている人は多いものです。僕ならこう問いたい。ダンサーのバレエにかける情熱は、その人のキャリアの長さやレパートリーの多さで測れるものですか?と。

 僕の場合、バレエが好きで仕方ないからこそ、いまのバレエ団を去ることにしたと言っても過言ではありません。ダンサーの鷲見雄馬が今後なにを目指していくのかは、また追い追い話すことにします。僕にとっての「くる年」は、かくてこのブログの題名でもあるGeorgiaとMarginaliaをふたつながら手放すことで、ようよう始まるものと思われます。


* * *


僕が最後に見たリスボン。愁いは繋がれた・・・
じつは1、2年前に、「バレエもマージナリアも今年が最後という覚悟で臨む」ということをちらっと周囲に漏らしたことがあります。そこから考えに考えて筋を通したというよりも、過去をすべてlet it goする心意気が、今回の決断につながったと言えます。なにも、手に入れたものは手放せ、ということではなく、手に入れたからといって手放しちゃいけないわけじゃないんだよ、というところがミソです。

 言われれば当たり前のことのように聞こえますが、知らず知らずのうちに溢れんばかりになっているココロの涙=ストレスすらも、自家薬籠中の物として理解できるかどうか。これが、7年間の海外生活を通して僕の学んだことです。

 ずいぶんご無沙汰しています。まずは、あけましておめでとうございます。

 11月以来のブログですが、近況報告は10月以来途絶えていたみたいなので、ツイッターでジョージア(旧グルジア)バレエ団の動向を整理してみようと思います。

  昨年10月末には、マリア・アレクサンドロワ(元モスクワ・ボリショイバレエ団プリンシパル)とヴラディスラフ・ラントラートフ(同バレエ団プリンシパル)のお2人をゲストに迎え、チャブキアーニ原振付・アナニアシヴィリ改訂版『ローレンシア』全幕を上演しました。旧ソビエト圏では非常に有名なバレエでありながら、現在ミハイロフスキー劇場やジョージアでしか上演されていない演目ということもあり、アレクサンドロワさん・ラントラートフさんともども、この舞台にかける思いはひとかたでなく、熱のこもった演技には惚れ惚れとしました。

 さるにても特筆すべきなのは、第2キャストとして主役を踊ったラリ・カンデラキ高野陽年のペアでしょう。『ローレンシア』はカンデラキが十年来得意としてきた十八番でしたが、今回の舞台をもって本作品とは袂を分かつことが公演前に発表されていました。御年45歳かつキャリア最後のローレンシアとはとても信じられない、目も眩むような鮮やかな技術に、団員一同あらためて舌を巻きました。

 また、カンデラキのパートナーとしてフロンドーソを演じた陽年君が、ラントラートフに引けを取らない豪快なテクニックで観客を魅了したのも記憶に新しいところです。
 
  続く11月には、ミハイル・ラヴロフスキーがバレエ団を訪れ、1月末の舞台ラヴロフスキー版『ロミオとジュリエット』の指導にあたりました。

 『ロミオとジュリエット』という作品は、プロコフィエフが作曲したことからも容易に推測できる通り、バレエ史のなかでは比較的新しい作品で、ミハイル・ラヴロフスキーの父レオニード・ラヴロフスキーの演出・振付で本作がバレエ界に生を享けたのは、1940年のことでした。

 バレエ史的に興味深いのは、プティパやイワノフといった振付家の名のもとで鑑賞される作品がほぼ原初の形を喪失しているのに対し、このラヴロフスキー版『ロミオとジュリエット』は、細部に至るまでの解釈が継承されている数少ない古典作品であることです(この振付に対して同時代的なcomparative criticismを試みるなら、音楽史における晩年のリヒャルト・シュトラウス、日本文学史における後期の永井荷風といった趣があるといえるかもしれません)。特にその後、同名同音楽のバレエが多く登場したという事実を鑑みると、ラヴロフスキー版のもつ歴史的意義に関しては他言を俟たないだろうと思います。いまから本番が楽しみです。

  そして先月は、イタリア・サルディーニャ島のカリャリという町で『白鳥の湖』を上演していました。各国のバレエ団が訪れている劇場とのことで、小さい町ながら公演に対する宣伝には力が入っており、舞台は毎夜翳ることのない暖かな賑やかさに包まれていました。

 幸運にも今回、自分はロットバルトを3度上演するチャンスをいただき、メイクから演技や技術的な部分に至るまで、予期していた以上にいろいろと試してみることができました。やや退屈な感も否めないツアーでしたが、振り返ってみるとダンサーとしては昨年もっとも充実した時間だったのではないかと思います。


去年も今年も中国。
そうこうするうちに、12月末からは『くるみ割り人形』が始まりました。ジョージア正教ではクリスマスが1月7日なので、今週からもまだ4公演ほどが残っています。ここからは怒涛のようにガラ公演や『ロミオとジュリエット』、さらなるツアーなどが立て続けに入っており、団員はみな、今つかの間の安息をむさぼっているところです。



 さて、次回ブログでは一身上の目論みについて詳しく発表するつもりなのですが、今回はひとまず以下のイベントについて宣伝させてください。


  同じバレエ団のプリンシパルであるフランク・ファン・トンガレンと、ソリストの武藤万知ちゃんが福岡で企画した講習会のチラシを、今回僕が作らせてもらいました。なつかしのマージナリアでさんざんお世話になったIndesignを活用したほか、Illustratorでスタジオの地図を作ったり、FIBF PROという新企画の提案にも関わったりするなど、いろいろとお手伝いしています。

 じつは目下、HTMLやCSS、JavaScriptなども勉強しており、チラシ作成からウェブページ運用まで、一人で回せるようになるのを目指しています。もしも「ウチのバレエ教室のホームページ変えてほしいな」とか「公演のチラシ作ってよ」という方いらっしゃいましたら、いつでもご相談くださいね。

 無論、単にチラシやウェブを作ってもらいたいだけという方でしたら、プロのデザイナーさんにお願いすればいいかと思いますが、これまでのブログ同様、単にチラシを作るだけでなく、どのような問題意識で企画や運営を行いたいのか、利用客との関係がウィンウィンになるようなサービスを作るにはどうすべきか、海外にも負けない日本のバレエ界の強みは何なのか、といった多角的な視点からじっくり腰を据えて取り組んでほしい、という方はぜひお声がけください。



 つい昨日、こういった情報が解禁されたのをみなさんはもうご存知でしょうか??


 来日する6つの名門バレエ学校とは、つまり

  • ワガノワ・バレエ・アカデミー
    (ロシア・サンクトペテルブルク)
  • ハンブルク・バレエ学校
    (ドイツ・ハンブルク)
  • ウィーン国立歌劇場バレエ学校
    (オーストリア・ウィーン)
  • ハーグ王立コンセルヴァトワール
    (オランダ・ハーグ)
  • カナダ国立バレエ学校
    (カナダ・トロント)
  • オーストラリアン・バレエ・スクール
    (オーストラリア・メルボルン)

のことです。この企画、おそらく成功裡に終わるだろうとは思うのですが、


 いや、名門ってなによ??


ということを誰かがはっきりと批評すべきだと思ったので、記事にしました。


▶名門はブランドでしかない


 日本バレエ界における黎明期、すなわち戦後まもなくの頃、バレエはロシア一国のものだと言っても過言ではありませんでした。世界全体を見渡しても、ソビエトほどの規模や水準でバレエが体系的に栄えた国はほとんどなかっただろうと思います。

 欧米バレエ界の礎を築いた立役者は、大半がソビエト連邦から欧米へ抜け出ていったダンサーや振付家たちです。バレエ・リュスの後裔もさることながら、バランシンやヌレエフ、マカロワ、バリシニコフといったスターたちなくしては、今の欧米バレエ界はありえませんでした。

 かくて欧米各国に根付いた大型のバレエ団は、ロシア系のダンサーに門戸を開くとともに、バレエ界における「後進国」から現れた逸材を雇うことでバレエ団独自のアイデンティティを築こうとしました。フリオ・ボッカをはじめ、カルロス・アコスタや熊川さんの活躍などはその典型的な例だと思います。

 その結果、21世紀に彼らを待っていたのは、皮肉にもインターネット(特にYoutube)の普及による、地域格差の縮小でした。いまやマリインスキー劇場でもっとも人気のあるプリンシパルは韓国人であり、ロイヤルバレエ団やシュツットガルトバレエ団におけるイギリス人、ドイツ人ダンサーの人数はそれぞれ数えるばかりになっています。

 ロシア人があらゆる国と地域で教鞭をとり、なにがクラシック・バレエなのか、というスタイルの違いすらも曖昧になっている現今において、いわゆる名門が名門である格別の理由はもはやないのです。バレエ界における名門卒とは、たとえるなら「ハーバード卒のプログラマー」であり、そこからバレエ界のスティーブ・ジョブズやイーロン・マスクが生まれる可能性は、むしろ低いのではないでしょうか。


▶名門のない日本だからこそ、名門にこだわる意味はない


 日本はそもそも国立のバレエ学校の存在しない国であり、そのためか海外のバレエ学校をむやみやたらと持ち上げる風潮が絶えません。無論、バレエだけに集中できる環境に身を置かない限り、競争の激しい昨今のバレエ界を生き抜くことがほぼ不可能なのは確かです。とはいえ、若いダンサーが海外に行くことは何を意味するのか、ということを辛辣に批評する土壌はまだ培われていないように感じられます。

 海外で踊ることを決意する、ということは、単に日本を離れることだけを意味しません。目的もなく海外で踊りたい、というほどの甘さは論外として、「ダンスでお金を稼ぐ」という目的をもって海外に向かったのであれば、極論それは日本に帰れない、ということを意味します。なぜなら海外と同じ生活水準・サポート水準を保ったまま、日本でその目的を達成することは現状不可能だからであり、日本に帰ることは必ずやそのいずれかを犠牲にすることを意味するからです。

 しかも海外の「名門」から奨学金を受け取るような日本のダンサーたちは、その時点でかなりの技術水準に達していることが少なくありません。むしろ、生活の自由を得たことでダンサーとしては伸び悩んでしまったという人もいるほどです。

 事実、名門のない国であったからこそ、日本のバレエ界は国内で競争を高め合う特異な環境を醸成できたわけで、それは日本人にとって必ずしもデメリットではなく、むしろチャンスと捉えるべきだと思います。

 かの三島由紀夫は、「留学の目的は、朝早く目覚め、修行に専念する生活習慣を身につけるためである」といったようなことをさえ書き綴っていましたが、これはあながち間違いではありません。海外に行かずとも、大概の知識は手に入れることができます。これほどYoutubeやSNSなどが普及している今日においては、「聞いたこともない」というのはただの怠慢でしかないのではないかとさえ思います。


▶もう名門の時代は終わっている――だからこそ今すべきこと


 こう考えてみると、Kバレエスクールという独自の教育機関を育て上げてきた熊川さんが「名門」に便乗しようとしているのは残念で仕方ありません。ワールド・バレエ・デイにしてもそうですが、こういった企画の裏には、名門たる理由を失いつつある名門による焦燥が見え隠れしています。決して名門ではなかったKバレエスクールなどは、むしろ名門界隈の常識を破って新たな新機軸を打ち出すくらいでなければなりません。

 結局のところ、各国の「名門」ですら、世界中のコンクールに足を運んで生徒集めに血眼になっているくらいなのですから、熊川さんのような方には、これまで脚光を浴びてこなかったバレエ教室やバレエ学校を招待し、名門としのぎを削らせるくらいの企画を期待したいところです。

 そして言うまでもありませんが、「名門でしか教えてもらえない」ようなことがいまだに存在するとすれば、そんなものはとっととYoutubeにでも公開されるべきです。そういう時代です。

 「もう大学はオワコン」なんてことをさまざまな著名人が口にし、それが必ずしも炎上しないご時勢です。そろそろ日本バレエ界も、20世紀的な考えをアップデートしてはいかがでしょう?


 今夜は『ローレンシア』全幕の本番です。20時開演ということもあって、今朝起きてからというもの、何事にも手つかずというのか、すずろに考えごとにふけっています。




 自宅は劇場から車で20-30分ほどの、比較的閑静な住宅地のなかにあります。通りに面した緑青色の門扉を抜けて、薄汚れた建物を回り込むと、その建物の地下階へと通ずる小さな通路があり、夜になると街灯もないこの狭隘な間道を進んだ奥に、トビリシに来て以来4軒目となる現在の自宅があります。
 
 陽の射し入りにくい部屋なので、割高なこの地域にあっては安く済んでいるものの、絶えて人声のない朝は、不気味というより孤絶に近いものを感じます(別段居心地の悪い家だとかいうことではありません)。ひとたび外へと出れば、街の殷賑を眺めやるだけでも飽きることのない生活ですが、このところは毎朝「そういえば自分はトビリシで踊っているのだった」という一見でたらめな感慨を抱きます。自分がトビリシにいて、なおかつ踊っていることに何らの疑いはないはずなのに、朝な朝なこの異様な気づきをもたらすものは何なのだろう、と想いをめぐらすことも少なくありません。



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 唐突な話ですが、ベートーヴェンの第九交響曲に譬えるなら、劇場で舞台に立つ生活というのは、ひたすら第四楽章だけを繰り返し上演する生活なのではないか、と思うことがあります。そして上演前にはいつも、もしやこの人生につながる重要な音楽の存在を自分は忘れているのではないか、といぶかしみつつも、上演後には、なにかが完結したという確信を誰よりもはっきりと自覚し、その感覚的真実だけを頼りに暗夜を過ごすのです。

 ダンサーはプロもアマチュアもみな、この第四楽章が何物にも代えがたいなにかを補完する営みであることを熟知しています。そして時間が永遠にあろうとも掬いきれない非常に重要ななにかが、ほとんど何も網膜に映じないような一寸の光陰に込められていることをよく知っています。



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 いま『雨月物語』を読んでいてつくづく感じるのは、人のないところに魑魅魍魎は現れない ―― つまり幽霊の現れる物語というのは、畢竟人と人の対話にほかならず、人間が主人公にならざるをえない、ということです。
 また、時を同じくして最近読んだSusan Sontagの随筆に、次のような文言があるのを見て、ダンサーの生活には魑魅魍魎の現れない、というようなことを想いました。ともするとダンサーが表現しているのは、一人称のセリフではなく、無人称の情景描写に近いのではないでしょうか。

―― In my experience, no species of performing artists is as self-critical as a dancer. ...(中略)... each time I've congratulated a friend or acquaintance who is a dancer on a superb performance ―― and I include Baryshnikov ―― I've heard first a disconsolate litany of mistakes that were made: a beat was missed, a foot not pointed in the right way, there was a near slippage in some intricate partnering maneuver. Never mind that perhaps not only I but everyone else failed to observe these mistakes. They were made. The dancer knew. Therefore the performance was not really good. Not good enough. (Susan Sontag "Dancer and the Dance")



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 閑話はこれくらいにして、そろそろ劇場に行ってきます。

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